2007.08.02
さん付け
[ お笑い ]
はい、楠野さんです。
「プロペラ犬」共同主宰&脚本です。
・・・と、毎回のように挨拶から始めるのはまあプロフィール欄がないからしょうがないとして、
自分の名前に「さん付け」ってどうなんだろう、って今急に思いました。
今までのを見返したら、こいつ(自分)、自分の名前にさん付けしてるくせして
水野美紀は呼び捨て!何これ!おまえ誰だ!水野「さん」だろう!水野さん!しゃっ!!
・・・と、怒っている人もいるのでしゅうか。あ、「でしゅうか」って書いちゃった。でしょうか。
真面目な話。
プロペラ犬を立ち上げ、二人(水野・楠野)で外部の方と会ったり打ち合わせしたりする
機会がよくあるのですが、そのたびに
「水野美紀をなんと呼ぶのが正しいのだろうか?」
と思うわけです。
会社では、外部の人とお話しするときは内部の人間は全て呼び捨てですよね。
社長であれ誰であれ。
それにならうと、「プロペラ犬」という一つのユニットを組んでいる人間としては
「水野」「水野!」と呼び捨てでいいわけです。謙譲の意味で。
しかし!「プロペラ犬」は会社ではありません。二人は違う事務所の人間です。
そう考えてしまうと、「水野さん」となるわけで。
でも外部の人の立場で考えると
「こいつら、さん付けで呼び合っているのって大人のマナーとしてどうなのよ?」となる。
考え出すとめんどくさいものなのです。意外と。
個人的に「いいなぁ」と思う「さん付け」「呼び捨て」の例がありまして。
「さまぁ?ず」の二人。
あの二人、よく見てると互いに「さん付け」で呼ぶときと呼び捨てするときを
絶妙に使い分けてます。
基本、呼び捨てなんですが、ある瞬間にすっと「さん付け」になる。
「三村さん」「大竹さん」と。
あれで「自分たち二人のテリトリー」と「外部の人(この場合はお客さん、視聴者)」
の空気の密度の違いみたいなものを絶妙に中和させてるんですよね。
お笑い目線だけで考えると、絶対「呼び捨て」で通したほうが面白いんです、
てか楽なんですよ。
基本、対象物をざっくり扱ったほうがお笑いは産みやすい。テンポも上がるし。
ところがあの二人は、互いに呼び捨てしあうことでどんどん二人の間の空気の
密度が濃くなってお客さんを置いてけぼりにする前に、
すっと「三村さん」「大竹さん」と「さん付け」で緩和する。
「さん付け」した瞬間に、「三村」は「みんなが知ってる三村さん」になるんですよね。
「三村」は大竹さんから見た三村マサカズだけど、
「三村さん」は「みんなが知っている三村マサカズ」。
第三者の視点が入ることで、笑いの空気穴ができるというか。
気持ち、距離を作って対象化できるというか。
逆にほとんど例外なくお互いを呼び捨てしあっているのがおぎやはぎ。
ほら、なんかぐっと密度が上がってますよね。
仲が良いとかいうことではなく、「おぎやはぎ」って
いう世界があって、そこはもうあの二人にしかわからないものがある、
みたいな意味での密度の濃さ。
たぶんあの二人は、そこらへん感覚的にわかった上でそうしてるのだと思います。
「さん付け」と「呼び捨て」の使い方にコンビの特徴はよく現れてると思いますので、
注意して見ると面白いと思いますよ。
・・・と、締めかけて思う。
うちの場合、「水野」と呼び捨てにしつつ、自分のことは「さん付け」。
なんだろうこれ?
自分と距離を作りたいのか?自分に空気穴?自分を対象化したいのか?
ああ、でも確かに自分についての文章を書くことってそういうことかぁ、と思う。