2008.10.21
シャープさんフラットさんジャージマン
[ 日々のあれこれ ]
ナイロン100℃公演「シャープさんフラットさん」は、そりゃもうたいそう
染みる作品だった。おとといで千秋楽を迎えたので、やっと中身に
関して話せるのだけど。
(もし、未見で、映像化されたときのことを楽しみにしている方が
いたら、この先は読まないでいただければ)
作家、もっと言っちゃえば「お笑い作家」の物語。
しかも彼の書くものは世間の感覚と少しずつ(たまに大幅に)ずれてしまい、
彼が「面白い」と思って書いたものは、決して他人には届かない。
もーこれだけで自分としてはヤバイものがある。てか、ほとんどの
クリエイターはシンパシーを感じると思うけど、「笑い」って、
具体的に「笑わせる」「笑われる」っていう結果がはっきりと出ちゃうものなので、
世間のジャッジが残酷なのだ。
クライマックス近く、主人公の作家が今までに書いてきた変なキャラクター
(全く一般的には面白さが理解不能な、変なキャラたち)
が一同に会し、生みの親である作家にぺこぺこと謝る。
曰く「僕らの努力が足りなくて、ほんと、すんません」と。
それに対して作家は「いやいやいや、そんなことないよ、君ら頑張ったよ」
と、最大限のねぎらいの言葉を彼らに向ける。
そんなシーンなのだけど、ブラックもホワイトも、あそこは本当に胸が痛くて
やばい。だってあれに近い夢は何度も見たことがある。
自分の場合は、ボツになっちゃった作品の中に自分がいて、
出てる人みんなに謝り倒してたりした。
「ごめんねごめんね、これボツなんだよ、ごめんね、これ無しなんだ」
とか言いながら謝りまくる。自分が謝ってるのに、周りでは勝手に
「自分が作った世界」が進行してて、その中の人物たちは自分が
この世から消え去ってしまったことを知らない。
なんかものすごく申し訳ない気持ちになって、
「もう大丈夫、もういいから」と自分の作ったキャラに平身低頭。
で、「はっ」と目を覚ますと、とんでもなく凹んでるのだけど。
そんなこともあったりして、終始、たまらんものがありました。
「シャープさんフラットさん」。
たまらんけど笑いが起きる、っていう感じもまた、たまんなかったなぁ。