2009.06.14
三沢選手、お疲れ様です
[ スポーツ ]
本当なら今日は「サボテニング」のチラシ撮影日記の
続きを書こうと思ってたのだけど、
突然の訃報が飛び込んできた。
少年時代、プロレスと映画、そしてお笑いに支えられて
なんとかかんとか生きてこれた私なので、
とりあえず今日はこれに触れざるを得ない。
プロレスラー・三沢光晴選手の急死。
しかも、リングの上での。
そのニュースを知ったのは昨夜遅く、オーケンからの一報によって。
実は私は、昨日、ミッキー・ロークの「レスラー」を
見に行ったばかりだった。
とてもとても素晴らしい映画なのだけど、
「たぶん、プロレス好き以外にはこの映画の本当の良さは
伝わりずらいだろうなぁ」とも感じていた。
「プロレス」というジャンルは特異だ。
「相手の技を、いかに強烈に、自らの身を犠牲にして受けるか」
を大前提にしている。
故に、そこにはどんな名勝負にも
「世間の尺度で言えば無駄なことに、肉体を捧げた者」
の悲壮感と、裏腹の高揚感がないまぜになったものがある。
結果、「凄すぎて笑ってしまう」という現象がおきる。
あえて言うならば、バスター・キートンやジャッキー・チェンの
映画にのみ、近いものを感じる。
「なぜそこまでするのか?」
そして
「なぜそこまでしなければいけないのか?」
答えはない。
私たちはプロレスのすごい試合や、キートンやジャッキーの
「死にたいのか?」と思うほどの無茶なスタントシーンを
見るたびに、ただただ驚き、笑うしかない。
一時期からの全日本プロレスやノアの試合はまさにそれだった。
中でも三沢選手は、受身の上手さに関して世界一レベルで、
故に「どんな危険な技も、三沢選手にならかけられる」
=「素晴らしい選手であるからこそ、肉体が傷ついていく」
という、世間一般的に見ればとんでもない矛盾を背負っていた。
皆がジャッキーにいつまでも無茶なスタントを期待するように、
三沢選手にも、その期待は宿命的に張り付いていただろう。
ただ、ジャッキーが「新宿インシデント」で、
「カンフーしないジャッキー映画」の新境地を切り開いたように、
三沢選手にも、まだこれから、
「傷ついた自分の肉体という器にあった形のプロレス」
の可能性はあったかもしれない。
そのペースダウンが許されないぐらい、
今現在のプロレス界が追い込まれていたのだとしたら。
ただただ私は口をつぐむしかない。残念すぎる。
これは偶然だが、
三沢選手の入場テーマ曲は、
ジャッキーの映画「スパルタンX」のテーマである。
三沢選手、お疲れ様でした。
全てのプロレスラーと、アクション俳優と、
無茶で無駄ですげーことに人生を捧げた創作者たちに
幸多からんことを。